昭和44年07月09日 夜の御理解



 今月から十三日会の案内を毎月皆さんにお送りして、して十三日会の精神言わば十三日会に頂く信心を普及しようと、皆んなに徹底して分かって頂こうと。本当に神様の願いが成就する事の為に、十三日会をもっと多くの人に分かってもらおうその内容、というのでこうして十三日会の言わば由来と言った様な事まで書かれて、案内が今日出来て参りましたんですけどもね。
 で私有り難いとこの十三日会というのは、誰が思い立った訳でもなくて、やはり神様があのう十三日会を期待しておって下さり。又は待っておって下さり。神様がこの事は進めて下さるんだと言う思いを持っておりますから、私はもう絶対十三日会に参りなさいと言った事がないんですよ。今までもうなんですかね、昭和三十年からですから、これはもうはっきりとしたその記録はないらしいんですよ。いつから始まったと言う事。
 それをそのいろいろ何かその分権をですね。分権というかその残されとった、書いたものをいろいろ、繁雄さんが調べよったげなが、お父さん父が書いておる物の中に、あのうというて、あのうこの会が始められる事の、それをずっといろいろ記録しておられるのが出て来た。でそれをこう逆算してから、計算するとちょうどこの年になると、いう訳なんですね。それでちょうどまぁほならやっぱ、三十年からだっただろうと、言う事でございましたが。三十年来この方なら明日は十三日会じゃから。
 皆さん良い会合がありよるから出て来なさいと、まぁ言うた事がなかったけれども、ここに始めてあのう信者の皆さんの頼々の方達がどうでもこの会を徹底しようじゃないかと、言う様な事がこういう月々案内まで出されて、そしてて恐らくはこれから合楽の信心の、まぁ中心の会合になる事であろうとこう思うんですよね。本当に神様がこうやって推し進めて行って下さる。この信心に私共が奉賛さして頂くと。
 まぁそんな事から私は今日はいろいろ考えさして頂いて、本当この十三日会の精神というものを、お互い日常生活の中に頂いて、本当に日々が神様の願いが成就する事の為の、日々であるようなおかげを頂きたい。まぁここに沢山な商売人の人が参って来ておるが、せめてまぁ十三日は店中で十三日会に奉賛さしてもらう。午前中は家族あげてお掃除という、まぁ清掃と言った様な何かそのう、教会の御用に皆立たせてもろうて、午後からは信心の共励を挙げてさして頂く。
 それを楽しみに十三日会が出来るのですから。これは私のところの、言わば神の願いが成就する日として、それぞれに例えば家でですよね、例えば十五日なら十五日でもいいから、例えばなら原洋服店というところが、今日と言うには一家あげて、神様の願いが成就する日だとして、本当に神様の願いを願いとして、その日一日を送らしてもらう。例えば神様が商売に下さっておる、例えばそのう御教えのね。
 人が十銭掛けるところを八銭を掛けてと仰るように、今日と言う日は黙ってね、例えば黙って誰にも言わん。家族の者だけで今日は神様が喜んで下さる日だから、例えば普通に日は十銭で売りよる物でも、八銭で売らせて頂くと言った様な雰囲気が生まれてきて、それがもう誰言うとなくですたい。十五日は原さんとこの奉仕そう言う様なと言うてですね、それこそ集まって来るお客さんが集まって来る様なおかげを頂いたら。
 もう黙って大変な私は宣伝が出来る。私の方十五日はこげなん事でもう、八銭十銭の物を八銭に売る日だから、皆んな来て下さいと言った様な宣伝しなくてもですね。神様の願いがそこにそう言う風に成就して来る様な、おかげの頂けれるような家族が次から次と沢山出来ていかなければならない。これも黙っておってそう言う願いが成就していかなければならないと言った様な事を。
 今日は私まぁいろいろ、心に描かせて頂いた訳ですけどね。どういうことになるでしょう。そういう事になったらもう大変な有り難い、大変な楽しい、なるほど神様の願いに応える生活というものが、どのように有り難いものかということがです。四六時中の中に推し進められて行くようになったら、まぁ大変な有り難い事になる。いわゆる信心の今朝の御理解じゃないけれども、その根本義と言った様なところにですね触れて。ある意味日常生活出来るようになるだろうと。
 もう限りないそういうその夢のような、夢のようなだけれども夢じゃない。それが実現して行くおかげが現れて来るだろうと、言う様にまぁ思うたのですけどね。本当に十三日会、さぁお参りしなさいと言わんでも、ご信者さんの中からこの様に月々、ひとつこれを合楽の信奉者全部に徹底していくようにしていこうと言う様な働きが、十三年ですからね、言うなら十何年ぶり目にこう言う風な働きになって来たという事を思うてですね、そんな事を感じるんですよね。
   どうぞ。